「#きょうだい児」の現実

#きょうだい児

「#きょうだい児」という言葉をごぞんじでしょうか?
「#きょうだい児」とうのは障害を持つ者の兄弟姉妹のことをいい、
障害を持つ者が生きていくうえで、様々な壁を経験することは、だれでも容易に
想像できると思うのですが、「#きょうだい児」というのは、障害を持つ者の兄弟姉妹が
人生の中で様々な壁を経験することを言います。
「#」がつくのはツイッターで使われることが多いためです。(たぶん)

具体的な事例をあげると、酷いうつ病である兄がいる女性が結婚しようと思っても、
うつ病が遺伝するのではないかと、相手の両親に結婚を反対されるような事象です。

または、知的障害をもつ姉を持つ弟が学校で姉の事が原因でイジメにあったり。

こうした弊害はこれまであまり語られることのなかった大きな社会問題ですよね。

事実、私が社労士として、障害年金の申請代行の業務をしていても、家族にすら
理解を得られずに悩んでいる人が結構いるのです。

本人はうつ病で苦しみ、働けない状態なのに、家族はそれに全く理解を示さずに、
「甘え」とか「怠けてもの」としてしか見ていないのです。

そんな時に、私と面談する場合はご自宅を訪問することが出来ないので、
ご自宅の近くの喫茶店等で、ご家族にバレないようコソッと面談する事もあります。

身内ですらこんな状態ですから、身内に障害を持つ者がいない人たちから向けられる
視線というのは時として、非情なものになるのも理解できますし、実際に起こっているんです。

日本人独特な自己責任論

こうした「#きょうだい児」等の問題で必ず言われるのは、「自己責任論」かと思います。

「兄弟姉妹に障害を持つ人でも普通に結婚している人もいる」
「兄弟姉妹に障害を持つ人でもイジメにあわない人はいくらでもいる」
「イジメられる側にも原因がある」

こうした自己責任論は日本人独特のなイメージが私にはあります。

私は、海外に住んでいた事もありますが、欧米は厳しい実力社会であると同時に、
キリスト教的な相互扶助の精神が強固に根づいているので、社会のバランスが取れている
ように感じます。

日本は欧米から「競争」だけを輸入し、「相互扶助」は捨て置いた、独自の自己責任論
が蔓延しているように感じます。

様々な問題を「自己責任」の一点で終わらせようとするのは、単なる思考停止だと思わないですか?
これ以上自分たちの知恵で解決することを試みようとす事を放棄した思考停止です。

「普通」の家庭で「普通」に育った人達ばかりが存在する訳じゃない っていう理解は必要かと。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です